おはなしりぼん2001夏号
 
 
自然の中で深呼吸
皆様 こんにちは。
『光陰矢の如し』『人生は長いようで短い』その他いろいろな表現で、人は人生について語りあいます。     

 しかし、若い年代、働き盛りの中年、年金を心配する老年を経て、高令化社会に突入した現在、『どのように、明るく幸せな心で人生を全うできるだろうか』この思いが、人々の心の奥底にある願いではないでしょうか。

 私は、旧満州の一部大連で生れ、奉天、天津、北京と幸せな子供時代を過しましたが、昭和廿一年五月、敗戦後の困乱期のさ中、アメリカの引揚船に乗せられ、一人千円もらって仙崎港に上陸したのが、祖國日本での生活の第一歩でした。十八才でした。

 両親と私と妹の四人は、肩を寄せ合って共に暮し働いてきましたが、気がついてみると八王子に住んで二十八年。平成三年に九十歳の父を、十二年に九十四歳の母を見送ったときには、私も妹も七十?才、いままさに高令化社会の一員です。

 父や母のように、九十歳までいや百歳までは生きようと、心ひそかに期しているのですが、『過去・現在・未来』これは、佛法における魂の転生輪廻、行き通しの魂を説かれたお言葉ですが、昨年母を亡くした私にとって、そう、昨日までが過去、『
現在』を生きる私。そして明日から未来となる人生は、父や母の生きた姿、言葉によって導かれ、培われたのだと、深い感懷をもって追悼し、勇気づけられ、感謝の日々を過しております。

 小学五年生の頃でした。

 『先祖があって祖父母、両親、そして私がいる』この自覚は、危険で重大な仕事をしている父が、信念を強くする爲、法華経に帰依した頃に私にも芽生えました。私には大きな出来事でした。

 父は又、本を二千冊も揃え、

 『みちえ、若いうちにうんと本を読め、惱の引出しに入れておけば、必要なときに思い出せるからね』 音楽に関しては、世界の名曲をいっぱい集めて聽かせてくれました。

 父は、いつも、黙って子供に必要なものを与えてくれる人。母は折にふれて、実際に即して物の道理を話してくれましたから、その記憶は、今もあざやかに思い出します。

 三歳の時、庭の赤いバラを見ていた私に母は、『花にもね、
生命があるのよ。だから欲しいからとちぎってはいけませんよ』 隣のチエちゃんが、ゆり籠に寝ている妹の手をギュッと抓っているのを見た時、どうしてこんなひどい事をするのと声も出ませんでした。が、そのあとチエちゃんと喧嘩をしたとき私は、チエちゃんの手に思いっきり噛みついて、妹の敵討をしたそうです。母は後年「暴力はいけませんよといってやめさせたら、子供には敵愾心も兄弟愛も育たなくなる。だから私は黙って見ていたの」と話しました。子供は子供のルールの中で育つのですから。

 又、おやつのとき、誰かが多いの少いのと言ったとき、母は全部をとりあげて食べちゃったそうです。その時私達きょうだいは、平等に分ける事。母を信じる事。嘘をつかない事の学習をしたのです。

 天津に居た十八歳の頃、ビクトルユーゴーの『あゝ無情』の中の一節、『正直の
こうべに神宿る』を読んだ時の感激は忘れません。正直とは嘘をつかぬ事。両親と子供との関係は、信頼と愛情で結ばれ、その両親の先は先祖、そして神へとつながってゆくのではないでしょうか。様々な人種、國、宗教の違いを越えて、人間を生かしておられる神を信じていれば、私は安心です。大病した時『神様佛様が私を産んで下さったそうですから、私がもうこの世に用がないのでしたら、どうぞお引取り下さい』とお祈りすると、翌日からどんどんよくなった経験を二度も体験しております。

私の、明るく幸せな心の原点です。

りぼん号デビュー!!
 移送サービス「おでかけりぼん」がスタートして二ヶ月。関係職員も評判が気になるところです。そこで、利用者さんに感想をおうかがいしました。さて、りぼん号の活躍ぶりは?
 ★
  質問/―車を見ての第一印象は?
  答/かわいらしくて良いと思いました。
  質問/乗り心地はいかがでしたか?
  答/良かったです。軽自動車だからという不安感はありませんでした。車高が低く安定感がありました。
  質問/利用してみて良かったところ・悪かったところは?
  答/良かったところは、行きも帰りもドライバーがとても優しくかったところ。特に、帰りに、野菜 の直売所へ立ち寄りをお願いしたところ、快く引き受けてくださり、新鮮な野菜を買うことが出来ました。悪かったところは、荷物を置くスペースが狭いこと、介助者が助手席に座るため、緊急な介助(体の変換など)が必要な時不安があるという点。
  質問/今後、どんな時に利用したいですか?
  答/通院や友人に会いに行く、買物に行く時などに使ってみたいです。
  質問/理想の移送サービスとは?
  答/移送サービスに限定したものではありませんが以前、京都に旅行した時の事、旅行代理店が、移送サービスまで含めて手配をしてくれました。これに、現地でのヘルパーの手配など含めたトータルしたサービスがあれば良いと思います。 
  質問/車椅子で行けるオススメスポットは?
   答/「夕やけ文化農園」は、スロープなども完備していてオススメです。また、最近、大型店舗では、設備はもちろん、店員の対応もレベルアップしていて、安心して出かけられるところが増えてきました。

とりな歌
 昔、昔の話、私が中学校入学間もない頃、長いカイゼル髭(鼻の下の髭)に紋付羽織に袴という出で立ちの国語担任の先生、その名を金作先生とよぶ怖い先生が、作文も受け持っておられたが、ある日「一週一題の制」といって、一週間に一題以上の作文を毛筆で書いて来なさい、との厳命が出され(作文と墨書の習字をかねた勉強法)更に「いろは」五十音を使って一つの文章「うたでもよい」を書いてこい。との宿題を出され、早速、先生は模範の一文を書いて教えて下さったが、七十数年も経った今、卒寿を迎えた老いの身の頭には中々記憶が蘇って来ず、頭をひねった末にやっと出てきたのが次の一文です。
ご存知の方も一応ご笑覧下されば幸です。


 とりな歌(いろは歌)

                ・・・・・説明は不要でしょう

とりなくこえす
ゆめさませ
みよ あけわたる
ひんがしを
そらいろはゑて おきつへに
ほふねむれゐぬ もやのうち

少人数でほのぼの あったか
 早いもので「ひだまりの家」も、サービスを開始してから一年三ヶ月が過ぎました。開所時より、看護婦として参加させてもらっていますが、初めのうちは八年間のブランクや学生実習の時以来という老人保健分野に、不安もありました。でも振り返って見れば、もう一年がたってしまったのかという感じです。

 看護婦の立場から見る「ひだまりの家」は利用者とスタッフが限りなく一対一に近い状況で接することが出来るので、他のディサービス施設に比べ、とても家庭的だと思います。(もちろんその点がひだまりの家の売りなのですが…)利用者の方の身体、精神面の情報交換という点においても、やはり利用者数が多ければ全てのスタッフに行き渡るまで時間もかかる上、あってはならない事ですが、時にAが´Aになることもあり得るのではないでしょうか。又、時間をかけて接してあげたいという気持はあっても、自分の身体はひとつなので出来ないことも出てきてしまいます。私自身、病院勤務の時はよくそういった状態になったりしました。その点ひだまりの家は、少人数で和気あいあいと楽しくできると思います。看護婦としての私は、朝の脈・血圧のチェックに始まり、利用者の方達が出来る範囲で体操をします。現在は利用者の希望で「足浴」も行っています。大きな施設に比べれば、トイレや浴室など介助に入るには狭いし、段差もありバリアフリーという面では今ひとつですが、利用者の方が気持ち良く楽しく過せる点は自慢できます。

 ひだまりの家に来たいと言って下さる方も増えているようで今後どの様に変わっていくのか楽しみですが、いつまでもこのあったかい家庭的な雰囲気をこわさずに前進していく「ひだまりの家」であってほしいと思います。
            ひだまりの家職員 看護婦