おはなしりぼん2002春号
 
 
支援センターの現在の役割
  〜介護保険 二年経過して見えてきたこと〜
 
保険で買う介護サービスが、強調され二年が経過した。利用者の権利が契約の時代になり選択の自由やサービス事業者の競争で質も良くなるということで最初の青写真通りに評価ができるであろうか。八王子市の場合この二年間介護保険の申請が出され調査をして認定結果を出すまでは基本的には自治体の仕事ということで在宅支援センターの職員も認定調査に協力をしている。その結果訪問することによって地域の高齢者と接することが多くなり「地域の中でその人らしい生活」「自分らしく生きる生活」の視点に立って在宅介護支援センター業務や介護保険制度について考えてみるチャンスができた。まず最近声として多いのが、始まった時には保険料の負担もなかったが医療費や介護保険のサービス等重ねて利用している人から「自己負担が大変でサービスの利用を減らしたい」との声である。特に年金の谷間にある人々の負担が過重になっている。介護保険では低所得者には負担が重く高所得者には負担が軽くなっている。国民の連帯責任はすべての人々が生活する場所であって社会の富によって貧しき人々も生きる社会を築き上げていくという精神がなくなってきている。しかもこの問題は介護サービスを必要とする高齢者や介護者にその人らしい生活を継続させることを困難にさせてしまうという課題になる。場合によっては利用者側のニーズが十分生かされなくなるということである。利用料を所得階層に応じて軽減している介護保険実施以前からのホームヘルプサービスの特別対策もあるが低所得者への負担軽減は今後介護保険法の根本的改善を求める課題として重要である。一方でサービス提供者である事業所は「経営」の二文字で悪戦苦闘している。ホームヘルパーの仕事は利用者の人生を支える誇りある仕事である。それを十分に果たすには求められている資質として人格的に暖かく、世話好きで責任感があり、共同作業能力と意思があり、問題解決の能力がある人です。コーデイネーターがしっかり指導して、最近は利用者から感謝されるホームヘルパーさんが多くなっているが、現実の制度での身分保障等の課題は大きい。

 さて介護保険は高齢者福祉の一部である。人は二十四時間地域の中で住民として生活している視点に立てば介護保険制度がすべて活用できる訳ではない。デンマークの福祉は出来ないから施設に入るのではなく出来ることを見つけて在宅で生活するという。在宅介護支援センターも出来るだけ長く自分で生活する場所にどのような援助を提供できるか大切な課題がケアマネージメント機能としてあると考えています。地域の中で生活している人で援助の必要な人の見守りの継続や支え合いネットワーク作りをして常に情報交換やケースカンファレンス等を行い安心した生活が出来る町作りや八王子市の福祉制度や生活支援事業、介護教室の開催等本来の事業も含め、それと歯車の両輪になる介護保険制度についても利用者の声を十分に把握して高齢者や介護者を見守る必要がある。評価と報酬、安心して利用できる保険と保障は大切な命と日々の生活につながる言葉である。在宅介護支援センターがそれらのモニタリング的役割の一部でも果たせればと考えています。

                                        在宅介護支援センター中野職員

ジェミニクラブ  〜多胎育児の会活動中〜
 

「ジェミニクラブ」とは…多胎児(双子や三つ子)を妊娠中、又は、育てている親の会です。年、数回の会報と月一回程度の集会(主に子安市民センターにて)が主な活動です。

二年程前、双子の男の子(当時三歳半)を持つ中澤園子さんが、多胎児の子育てについての情報が欲しい…が近くに会が無い。それでは作ってしまおう!と、同じく双子・三つ子を持つお母さんたちと共に立ち上げたサークルです。今回、代表の中澤さんにお話をうかがうことができました。

 一人の子供を産み、育てるのでさえも、授乳、オムツ換え、夜泣きなど大変なものですよね。赤ちゃんは泣くのが仕事といいますが、多胎児の場合は一度に泣かれても、別々に泣かれても世話をするのは肉体的・精神的にものすごく疲労がたまってくるものなのです。

 そこで、世のお母さん方は、同じ子育て中のお母さんとの会話の中から、いろんな情報を得たり、悩みをきいてもらったりする場を求めて、親子で公園へ出かけたりするのですが、双子や三つ子の場合は、公園へ連れて行っても、それぞれに動き回るわが子を見守るのが精一杯で、他のお母さん達と話す暇もありません。母親として欲しい情報や、ホッと一息つけるような会話ができず、また、運良く話せたとしても「双子は年子より楽よね。」「どっちがおにいちゃん?」「不妊治療したの?」など、興味本位の話題になる事も多く、かえって心の疲労を増やして帰宅する場合が多いのです。

 それでは、いったいどこに情報を求めれば良いのか?ということで、多胎児をもつお母さんたちは、月一度の集会が数少ない情報交換の場となるのです。

 中澤さんは、「他の幼児サークルは、親子一対一での工作、手遊びなどの作業を行うところが圧倒的だが、ジェミニクラブ=お母さんの息抜きクラブ。あえてお母さんの負担になるようなことはしない。多胎児の育児をしている人なら、ほとんどの人が持つ精神的疲労を少しでも和らげる手助けができたら…」と語ります。今までの会報を読ませていただいても結成して二年、まさに暗中模索しながら歩んできたことがうかがわれます。

 また「保育園に入れようとしても別々の保育園になってしまうこともある。一昨年、多胎児支援の名の下に、年一回たった三時間のベビーシッター助成制度ができたが、親は必ず外出しなければならない。いきなり見ず知らずの人が家に来ても、子供は泣き通しかもしれない。親は心配でリフレッシュどころではありません。リフレッシュの意味を履き違えている。それよりも通院などの外出時の付き添いを助成するとか、行政の支援を広げて欲しい。」と語ります。まったくそのとおりです。

 お話を伺っていて頼もしく思えたのは、結成当時から、杏林大学看護学科の教員、学生さん達が保育ボランティアに参加されていることです。その学生さんの中から多胎児の育児への理解をもつ保健婦さんが育成されることを私も期待したいと思います。

 最後に「広く世の中に多胎児の育児について理解してほしい。将来的には多くのボランティアを巻き込んで胎児育児をがんばるお母さんの肉体的疲労も和らげられる会にできたら…」と語る中澤さんの目が輝いていました。「二十、三十年後、『あの頃は大変だったよね。』とOBで飲み会をするのが夢」と会報の中で語っていらっしゃいましたが、必ずや実現するに違いない!と力強さを感じました。

ひだまり作品展
 
 ひだまりの家で二回目の作品展示会を三月二十九・三十日台町市民センターで開催致しました。昨年より作品が豊富でお部屋が狭く感じられました。どの作品もそれぞれ当時を思い出させてくれました。ひだまりの方ではありませんが九十四歳の方の書と絵には感心させられました。又、九十歳の方が編み物三点出品して下さいましたがその「根気力」好きなだけでは出来ない事と感心しました。残存機能を如何に持続して頂くかを考えます時やる気の工夫方向づけをすることがやはりお一人お一人の老化痴呆を正しく理解する事が今後の課題だと思います。
                                            ひだまりの家職員      

思い出の映画
 
「猿の惑星」

父に初めて連れられて見に行った映画は、『猿の惑星』でした。

父はチャールトンヘストンの大のファンでそれまでもテレビで放映されたものは、ほとんどの作品をいっしょに見ていましたが、家族のだれからも一緒に行かないと言われ、私にお鉢が回って来た訳で半分は迷惑がりながら、母が私に言った「連れて行ってもらいなさい」の鶴の一声で、(母は行かないのに)私だけ父に連れられ映画館に見に行ったのでした。

その父は自慢げに「チャールトンへスンが出ているのだから良い映画に決まっているんだ」と話していました。最初、宇宙船の事故で2000年以上後の地球に不時着した事に気づかず、映画の中盤に、『いったい何がどうして猿と人間が逆転したのだ』といった主人公の言ったことばの答えは、浜辺に横たわる自由の女神を見て、地球に帰っていたと知り叫んだ、『とうとう遣ってしまったのか人間は』と嘆く姿・・・。

原爆、水爆に対する風刺のこもったラストシーンは、いまも心に刻まれています。

その後『猿の惑星』は4作つくられテレビ放映され見ました。どの作品も考えさせられる物で、特殊メイクと人間らしい動きにほのぼのとした感じでした。最近のCGで出来た殺伐とした『猿の惑星』とは一味違っていました。
 
ディズニー「白雪姫」
最近、ビデオで『白雪姫』を観る機会があり、伯母のことを懐かしく思い出した。

小学生の頃初めて上京、伯母と二人新宿の映画館で『白雪姫』を観た。

白雪姫と“七人の小人”のダンスシーンが印象深い。伯母は40代独身、東京で働き自由気ままに生きているようだった。人形の服、アクセサリー、アイドルの写真を信州に送ってくれた優しい伯母。残念ながらその後連絡の途絶えた伯母の行方を捜している。未婚で八十歳を過ぎ伯母は、都内の病院にいるという。あなたの人生を知りたい。

大人になった私に『白雪姫』の頃の話をしてください。